書いてみるブログ

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【短編】Motion【theme: 運動】

Motion

 自由落下運動。

 今、僕に課せられているのはただそれだけ。課せられている、と言っても一度落下に入ってしまえば僕に出来る事はもう何も無い。なす術もなくただ落ちるのみ。

 今、僕がしなければならないことは、一歩先に切れて無くなっている足場から身を投げることだけ。身を投げれば、そこで全てが終わりを告げる。

 僕は今、地上から20数メートルの高さに身を露わにしている。

 眼下にはいつもは僕もいた筈の世界が遠く遠くに広がる。地平線が僅かに丸みを描いて見える程遠くの大地。眺める程に僕を吸い寄せるような引力を感じるのは、僕もあそこに戻りたいからか、高所故に風が強く煽っているからか、はたまたこの高さに恐れおののいているからか。

 下の世界には人々の往来が続いている。こちらへ来る子連れも離れて行くカップルも、皆顔に幸福の相を浮かべて今日一日という時間を過ごしている。僕の今のこの姿とはまるで無関係とばかりに、彼らには彼らの時間が流れている。

 あの中には、僕をこんなところに追いやった者もいる。彼のせいで僕は遂に飛び降りる寸前まで追い詰められた。だというのに、彼は僕のこの心の震えを理解も同情もしないし、せいぜい傍観者でしかないのだ。

 下から時折声が聞こえる。こんな高所にいる、僕に投げかけられている声だ。早く降りろ、早く飛べ、そんなことを叫んで僕の様を娯楽の様に弄ぶ観衆。彼らの無垢な笑みが、邪悪なそれに見えて恨めしさがこみ上げる。

「おーい!オーヴィル、早く飛んでみろよー!バンジー!って」

 父の無遠慮な呼びかけに、下半身を中心に固定された命綱が重くなる。

 

 地上であんなに大騒ぎしている父だが、彼が先刻バンジージャンプに挑んだ時は大層竦んでいた。ビビっていた。

 それが飛んでしまうと、あっという間だっただの気持ちよかっただのお前も飛んでみろだの言いだして、遂には今の状況へと至ってしまった。

 中年男性というのは何故自分の経験したものをさも常識のように、必須のことのように感化されて、善意による推奨という形でそれを周りに強要したがるのだろうか。

クソ不味い健康食品を試し始めたと思えば、急に元気になって何にでもそれを勧めるようになるし、不摂生だったのが運動し始めたと思えば、急に筋トレ狂いになって何でも筋肉で解決させようとして来る。今回のも同じ。

 ここから約20メートルの地表に自由落下するとなると、20=1/2*9.8t^2なのでt=10√2/7≒2で大体2秒で落ちる、などと少し前に高校でやった物理の内容を復習したりもするが、この計算でこの命綱の効力や僕の安全性が計れるわけでもなくそもそもあの地表まで落ちきったらこの命綱も甲斐なく僕が死ぬ。

 あれやこれやと思案を尽くすも、眼前に待ち構える奈落は変わらずそこにある。一方で、なかなか飛ばない僕を呆れ顔で見るバンジーのスタッフと、順番が回ってこないことにそろそろ苛ついてきた他の客も変わらずそこにいるが、僕には関係が無い。

 

 著:中新井鶴賀