【短編】秋には秋の花が咲く【theme:移り変わり】
秋には秋の花が咲く
初嵐が吹く。
その秋風は、まるで夏の暑気を運び去っていくようだ。熱気と湿気と蝉の鳴きが消え去った空白に、清々しい涼しさが広がる。日は輝きを穏やかにし、葉は赤く色づき、虫は音を雅に変える。世界が秋色に染まっていく。
秋は食事に深味を運んでくる。酷暑に負けていた食欲が漸く帰って来たからであろうか、竹箸は満腹に向って留まることを知らない。だんだんと早くなる日入りの下で、何処かの台所の匂いが路地を漂う。今日も、夕餉の秋刀魚に舌鼓を打つ。
秋は見知らぬ誰かの知と出会わせてくれる。僅かに空き時間が出来たとき、先日買っておいた文庫本を片手に外へ出てみる。喫茶店でも良い。文字の世界への没頭を邪魔するあの蒸し暑さも、冷房のつんざく冷たさももう居ない。頁をめくる指は見る見るうちに、いや、見る意識を割くこともなく進んでいくことだろう。
秋は全ての可能性への好機だ。転機だ。その視界が美しく移り変わったように、私も変わるべきなのだ。
そうだ、この時節はきっと素晴らしい季節の筈だ。
だというのに。
僕はこんなにも苦しめられている。
この時期はいつもそうだ。秋から冬への移り変わりも、冬から春も。
僕はそういう体質らしい。生まれてからもう何年も同じ苦しみを味わっている。だが、慣れることもなければ耐性も免疫も付かない。
起きる。既にそれに憑りつかれている。発作も出る。ただひたすらに怠い。
なんとか身支度を整えて一日が始まっても、何をするにも頭の中に広がる霧や靄が僕をかき乱す。ああ、鬱陶しい。
食事の時間。目の前の昼食に集中できない。口に入れても味が分からない。折角のご馳走が勿体ない。
何をするにも集中できないので、今度は睡魔がやってくる。寝たいわけじゃない。やる気が無いわけじゃない。僕はここにいるのに、僕の思考はここではない何処かへ飛ばされる。ここは何処だ。目の前が灰煙に包まれる。
移動中だってそうだ。この苦しみは僕に全てへの意欲を失せさせる。こうなると、もう鼻孔の奥に蠢く気持ち悪さしか意識できない。
それでも、なんとかして一日を耐えきる。後は夢の中に逃げるだけ。寝る前に薬を飲む。
そうして布団に入ると、一日中僕を苦しめていた睡魔に加えて薬の副作用の催眠作用によって、僕は徐々に奥へ奥へと頭を沈めていく。ああ、やっと眠れる。
ッヘァックション!!
突如現れたその「発作」によって、僕は布団から身体を起こす。怠さと怒りの中で鼻をかむ。一晩中、この睡魔と発作の繰り返しに悩まされる。
僕はいつもこの花粉症体質、詳しく言えば「アレルギー性鼻炎」に苦しめられている。季節の移り変わりの時期は本当にしんどい。
これも全部あの花のせいだ。あの花もあの樹も、今花粉をばら撒いている全ての植物を燃やして、灰にして、根絶やしにしてやりたい。
秋の花が可憐に咲いた。私はその彩に涙を浮かべながら、花を摘む。
私もこの花の様に、華麗に。
著:中新井鶴賀